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(INTERVIEW)

日本画、陶芸の「様式の変容」。品川亮、野田ジャスミンの試みと視点をインタビュー。

2022年に解体された中銀カプセルタワービルのカプセルの魅力を再発見し、今の時代に即した文化を発信していく新たなアート&カルチャースペース「SHUTL(シャトル)」

建築家・黒川紀章が設計した新陳代謝をコンセプトとしたカプセル2基とそれらを格納する新たな空間を舞台に、日本文化そのものの新陳代謝の展開を目的とし、現代の表現者が日本文化と出会い直し、自らの表現と伝統を結びつけることで、「未来のオーセンティック」を生み出す実験場(ラボ)として2023年10月から動き出しています。

今回のJOURNALでは、SHUTLオープニング展示シリーズ 第2期「伝統のメタボリズム〜様式の変容〜」の出展アーティストである品川亮さんと野田ジャスミンさんによるアーティストトークをお届けします。

品川さんは日本画、野田さんは陶芸という様式を用いて、現代に新たな表現を発表し続けています。今回の展覧会のテーマでもある「様式の変容」というキーワードから、今回の作品とその想いを伺いました。

インタビュアー  : 黒田純平 

(2023年12月14日実施)

黒田:SHUTLでスペースマネージャーとして展覧会企画を担当しています、黒田純平です。
SHUTLオープニング展示シリーズ 第2期「伝統のメタボリズム〜様式の変容〜」の企画・開催にあたり、品川亮さんと野田ジャスミンさんにお声がけし、定期的に現地でディスカッションを重ね、実現することができました。今回は、出展作家の品川亮さんと野田ジャスミンさんにお話を伺いたいと思います。では、まずお二人の自己紹介をお願いします。

品川:品川亮です。私の作品は世間的に見たら「日本画」と言われるようなものだとは思うのですが、伝統的あるいは純粋な日本画とはまた違うと思っています。僕は高校時代は油画を描いていて、そこから日本画を勉強し始めました。日本画に興味を持ち始めたころにヨーロッパに行く機会があり、そこで日本画は世界で言われているアートとはまた違ったルールを持っていると感じました。そのことがきっかけで、アートの上に成り立つ日本の絵画を作りたい、見てみたいと思うようになり、今の形での作品を制作しています。

品川亮

野田:野田ジャスミンです。僕はタイ出身で、母がタイ人、父が日本人です。8歳の時に日本に来て、日本で陶芸を学びました。初めは陶芸に憧れをもってキャリアをスタートしたものの、自分の表現したいものが実は既存の陶芸の分野では評価されにくいものなんじゃないかということに気づき、現代美術あるいはファインアートとして、陶芸ないしはもっと中核にある工芸的な、もっと深く掘れば日本的な技術としての陶芸というものを探っていけないかと考え、作品制作をしています。
今回は、展覧会に向けた打ち合わせのなかで意見交換を重ね、品川さんの普段の作品の解釈やものの見方も参考に引用しながら、まったく新しい今までと違う作品を発表しております。

僕のこれまでの作品は、器を作りそれを自発的に割れるように制作して、割れた状態で焼き上がってくる「ghost」というシリーズを製作していました。用のある造形が使えなくなった状態で完成されているというもので、それが”器”なのか”オブジェ”なのか、”アート”なのか”工芸”なのかを探っていくような作品です。僕自身もルーツがタイで、日本にきて、国籍が日本ではあるけど、自分の所在がどこにあるのか、自分のアイデンティティが少し宙ぶらりんになるようなルーツがあると思っているので、間を探っていくような制作を続けています。

野田ジャスミン

黒田:今回の展示では「様式の変容」というテーマでお二人にお声をかけ、作品を制作いただきました。様式というと、生活での様式であったり、建築でも〇〇様式というものもありますが、美術のなかにもいろんな素材や技巧、ルールというものがあり、その様式が時代ごとに変容していくことが常に行われていると僕は考えています。それがSHUTLのコンセプトでもある伝統の新陳代謝に繋がっていくと思っています。お二人は、このようなテーマのなかでどのような考えを持ちながら制作を行いましたか?

品川:そうですね、まずはSHUTLという場所で今回のテーマはとても考えやすいと思いました。最初は、伝統や様式にはこういうのがあるんじゃないか、ということを意識して出そうかなと思ってたのですが、話し合いのなかで、そんなの意識しなくても今やりたいことをやれば必然的にそうなるんじゃないか、と思うようになりました。それをこの場所でうまく表現できると思ったので、今やりたいことと向き合うことができ、楽しく制作ができました。そのような気持ちのなかで、これは仕方がないことなのですが、絵について考えれば考えるほど、専門的な知識や見方から、狭いところに入っていく、細い井戸の中に降りていくようなイメージがあって、そうなるとたくさんの人に簡単に受け入れられなかったり理解されなかったりするものも多いと思うのですが、ただそれをやらないと、僕のなかのやりたいこと、僕が思う日本の絵画を突き詰めることができないんじゃないかなと思っています。なので今回の絵は、僕もまだうまく理解できていないし、うまく説明できない。けれども、それを鑑賞者の人と共有できたら楽しいと思っています。ですので、今回は本当に良い機会でした。

黒田:ありがとうございます。野田さんはいかがですか?

野田:そうですね、2年か3年くらい前に京都のグループ展で品川さんとご一緒させていただきお話を伺ったことがあったのですが、「あれ? 自分自身とけっこう似ているぞ?」と感じる部分がありました。そもそも、陶芸と日本画自体が、日本と西洋の美術の関係性において共通する課題や理想があるため、それに対する品川さんのアプローチの仕方にすごく共感したというのが、一番最初に思い浮かんだことでした。今回、自分の好きなことやっても、品川さんとの二人展として良い影響を与え合うような関係になれると思い、かなり気合いを入れて新しいシリーズとして作品のコンセプトを練りました。搬入も二日間やらせていただいたのですが、お互いの制作論や作品についてずっと話しながらやっていたので、展覧会が始まる前からすごく楽しい展示になったと実感するほどでした! 僕個人の展示としても、また二人展という形式としても、すごくいい展示になっていると思っていて、今すごく楽しい、嬉しいというポジティブな気持ちです。

黒田:そう思っていただけて嬉しいです! 確かに、設営している作業の時間よりも、議論している時間のほうが多かったですね!カプセルのなかで品川さんと野田さん二人きりで長い時間喋ってたところも外から見ていましたよ。僕が聞けなかったそのお話を、この場で聞いていけたらと思います(笑)。
それではここから展示について詳しくお聞きしたいと思います。まず、2つのカプセルの間に位置するFREEDOM SPACEに展示している作品について触れていきたいのですが、品川さんから屏風の作品について解説いただけますか?

品川:僕は、「日本画が存在していなかったら、どういう日本の絵画が存在していたか」ということを考えて制作をしています。それは、僕がヨーロッパにいた時に日本画を勉強していたなかで、日本画がガラパゴス化していると思ったことがきっかけでした。
初めは「単純化すること」や「植物を描くこと」は日本の絵画において大事なことだと考えていましたが、今僕自身は抽象絵画という表現に至っています。それは、いきなり抽象絵画をやるのとは全然違うと感じています。「単純化すること」や「植物を描くこと」を考えて絵画を作ってきたからこそできる表現なのかな、と。例えば植物を描くとき、植物を描くということは植物以外のところを作ることでもある、つまり背景の部分を描かずして作るということだと思っていて。そういう、「存在していないもの」と「存在しているもの」は対等であるということを、この絵のなかで試みています。

FREEDOM SPACE 展示風景 左:品川亮「Hello-Goodbye」 右:野田ジャスミン「ghost Sirius β / Blue pot」

品川:絵の具をつけて、それを取って、そしてもう一回付ける、ということをやっています。このような彫刻的な作業をすることで、「手前」と「奥」というディメンション(奥行き)が生まれると考えています。物理的にはもちろんひっついているので存在はしていないけれども、概念としてはやはりここには「間」が存在していると思っています。神道の神籬(ひもろぎ)という、棒を4本立てたらそこに神様がやってくるための空間が生まれる、というイメージで、インスタントに用意されてる空間みたいなのを絵のなかで表現したいと今思っているところです。

黒田:とても興味深い手法と考え方ですね。どのように「間」の部分を意識し始めたのですか?

品川:日本の平安時代・鎌倉時代の絵を見ると、なにも書かれていない状態の紙の部分と、一番明るい部分、どちらも手を付けず同じ状態で残しているのですが、西洋絵画では明るいところは情報がたくさん集まっているはずなので絵の具は分厚い。フェルメールがまさにそうで、真珠の光ってるところは絵の具を分厚く塗ってる。日本の絵画の場合、絵の具がのっている/のっていないということが重要さの加減ではない。のっていてもいなくても同じなんだというところが、「間」の概念からきているのではと思い始めたという感じですね。

黒田:なるほど。品川さんは最初は日本画からでなく洋画、油絵をやられていたと伺いましたが、たとえばリヒターなど、日本画とは違う近代の洋画家から影響は受けましたか?

品川:そうですね、やはり現代に生きている以上、西洋の影響は避けては通れないと思っています。洋服も着ているし、今着ているジャケットだって日本以外のところで作られている「様式」を僕は何も考えずに着ています。このようなことからも、西洋絵画や欧米のペインティングを無視するということはできないと思っています。ただそれをアジア人・日本人版のローカライズとして表現するということはやりたくないと考えています。それらの影響を知った上で、僕はこんな表現ができる、ということをしたい。ですので、そのまま影響受けて作品を作ろうとは思いませんね。「こういう考えもあるんだ」くらいの感じです。

品川亮 過去作品 「蓮地図襖」

品川亮 過去作品 「白椿」

黒田:面白いですね。まさに「間」のグレーゾーンを探しているように感じます。この屏風の作品のほかにも、カプセル内や外にも作品がございますので、後ほどお伺いします。
一方で、野田さんは私の大学の後輩なので長い付き合いなのですが、彼は「ghost」という作品をこれまで制作されてきて、今回はそのシリーズとしての最新作です。用途を表す器に亀裂を入れていくという形で制作されていますが、野田さんから詳しくお話を伺えますか?

野田:品川さんが西洋絵画を日本画に置き換えてみてっていうところで日本画をやり直すみたいなことをされているように、僕も工芸史に現代美術やファインアートの歴史を当てはめてみるということをやっています。
工芸とアートの間はどこなのか、デザインと工芸の間はどこなのか、陶芸とはどこまでなのか、ということを考えながら、ふと気づいた時に、この行為が「天体観測」をしてるみたいだなと思ってきたんです。数々ある輝かしい憧れのものと、自分との関係性や位置によって星座が生まれていて、自分はそれを眺めている。そう気づいた瞬間に、僕が今こうして輪郭を探して歩いている行為は、その彼方を中心にして公転する行為に思えてきて、「自分自身も星になりつつあるんじゃないか」ということに気づき始めたんです。今まで、「割って使えないもの」が「工芸」なのか「アート」なのか、という輪郭でしたけど、そこから相対的に、もう一度「過去」にある星々と今の自分を繋ぐ作業をすることによって、自分の先の未来を数学の図式みたいに導き出せるんじゃないかと考えるようになりました。

野田ジャスミン 過去作品 「ghost comet」

野田ジャスミン 過去作品 「記憶のスワン 04 祈祷」

野田:今回の作品は、工芸的にいうと「写し」という、師匠などの技法や技量、もっと言えば精神を真似て作る手法で制作しました。どんな思いで作ったか、など追体験して自分を高めるような行為が「写し」といえますが、それだけではなくて「霊をおろす」みたいな、師匠を自分に降ろして写しとるというような考え方も出てきました。そういったところを、からだが本質なのか中身が本質なのかっていうghostシリーズに写しを盛り込むことを試みたので、今回の作品は4名の20世紀の著名な陶芸作家さんの作品をオマージュしたものを展示しております。例えば今回の作品「blue pot」だと、ghostシリーズとして今までの僕のやり方と同じ方法で作っているため割れてるのですが、そういった中間的な存在であることを残しながら、今までの20世紀の陶芸がファインアートになろうとした動き、分かりやすく言えばオブジェになろうとしたり、使うものだけではない機能を落とし込み美術的に拡張をしようとしたりする動きを、僕も品川さんと同じように、隣のちがう分野から様式を輸入して当てはめてみて再検証する、陶芸がファインアートになることはどういうことなのかを再検証する、というのが今回の試みです。
それぞれの部屋の作品でかなり意味合いが変わってくるので、一旦説明はこれくらいにさせていただきますね。

黒田:ありがとうございます。今回の野田さんの作品シリーズは、陶芸の分野に詳しい方は「これってあの作品じゃない?」という発見もあると思います。陶芸がいつから芸術として役割を見出そうとしたのかが考察できますね。陶芸としてオブジェを作る以前に「彫刻」としてのオブジェというものがあったと思うのですが、そこの様式を輸入したという認識ですか?

野田:彫刻のオブジェというと「玩具」のような、日用的な用途のない立体作品というものかなと思うんですけども、そのなかで「陶芸のオブジェ」とは何なのかを考えると、今から半世紀ほど前に京都で起きた走泥社という団体の前衛陶芸の運動「オブジェ焼き」に触れたいです。そこで「陶芸によるオブジェ」というものが出来たと考えていまして、そこでそれが彫刻や陶器製は何が違うのか、みたいなところに、僕の今回の作品やこれまでの作品で、形にして伝えていきたいと考えており、”陶芸が陶芸である理由”みたいなところを、陶芸オブジェと彫刻の違いのなかで出せたらなと思っています。

黒田:なるほど! ちなみに先ほどカプセルのなかで品川さんが野田さんに質問していたのですが、陶芸の「芸」はいつから付いたんだろう、という話を改めてお聞きしても良いですか?

野田:すごくざっくり言うと、もともと日本にあったものづくりは「下手物」とか「上手物」といって、「日用品」と「飾る物」という分野であったのですが、海外からアートが輸入されてきたことによって、その立ち位置にいたものたちが宙ぶらりんな位置に押さえつけられたんです。より”高尚”なものが海外から来たというイメージですね。そこに抗うために、工芸の”工”の部分である、手で作る技術を結集した分野を確立する動きが、「工芸」という言葉になりました。
僕の一番好きな言葉としては、「人間の人工的な部分と自然の部分の一番いいところを使って作るものづくり」という定義をされる方もいて、それはアートとは違う部分だなと感じます。
現代のなかで分かりやすいかなと思うのは、プラスチック。今の時代のプラスチックは何年か先に「プラスチック芸」みたいなものができるのかなとか、そんな話をしてました。

黒田:ありがとうございます。では、オリジナルカプセルの中の話に入っていけたらと思います。
このカプセルの中では、時間軸を意識した空間として内容を構成しています。黒川紀章は中銀カプセルを1970年代につくり、彼の著書『ホモ・モーベンス - 都市と人間の未来』の中の「カプセル宣言」において、近い未来日本人は定住の地を持たなくなる、賃貸で生活したりとか住所不定のような生活を送ることになるだろう、という内容を書いてるんですね。50年も前に書かれた本でこのような内容を既に言っていたということは、黒川紀章は先を見ていた人間だと思っていて、そういう時間軸をこのカプセルは象徴しているんじゃないかということを3人で話し、”時間軸”をテーマに上げました。
こちらのカプセルは主に野田さんの作品を展示しているので、野田さんにお話を伺います。

ORIGINAL CAPSULE 展示風景

野田:そうですね、今回2つあるカプセルの「オリジナル」のほうを僕がメインで構成を考えさせていただき、「スケルトン」のほうを品川さんをメインで構成した内容になっています。
オリジナルカプセルの内装は、昔の人が思う「近未来」のデザインになっていると想像するのですが、その「近未来」はおそらく自分たちがいるここ数年のことと考えられます。しかし、このような内装を実生活で僕たちは見たことがないため、「昔思い描いた未来」の状態になっていないのですが、それが僕らにとっても近未来風を感じ、「昔にとっての未来」が「今にとっても未来」、ということに気づき始めました。昔・今・未来が、ずっと同じ点に重なり、同じ座標に存在しているような気がしていて。そのような観点から、時間を使って構成していきたいと考えました。先ほど星座の話もしたのですが、点と点を結びひっつける作業をカプセルの中で表現したいと思っています。

オリジナルカプセルのなかに、コーヒーのセットを展示してます。カップ&ソーサー、ミルクポット、コーヒーポットです。朝のひとときや、仕事をやろう!というときに飲むものとしてコーヒーがあり、体感時間に対して直接的に干渉する飲み物、対時間に関して象徴的な飲み物だと考え、コーヒーに関する表現を陶器とその映像に落とし込みました。割れてる器にコーヒーを注ぎ、漏れてる。そしてそれが永遠にループしている。ゆっくり漏れたり、急いで注がれたりと、時間が行ったり来たり揺さぶられるような、そんな映像です。

カプセルの構造で、さすが!と思ったのは、扉を閉めると外の音がなかなか聞こえないんです。かなり遮音された空間になりますね。

野田ジャスミン「ghost Sirius α」

黒田:中に入っていただくとわかりますが、外から中に入ると音が静かになりますよね。

ORIGINAL CAPSULE 展示風景

黒田:野田さんのこの説明を聞き、考え整理しながら鑑賞すると、また新しい気づきが生まれそうですね。
オリジナルカプセルには品川さんの作品も、野田さんの作品に干渉するような形で展示されています。この作品は今朝出来たんですよね?

品川:はい、今朝作りました。この作品でやりたかったことは、「間」を作りたいということです。「間」はどのように生まれるかというと、あるものとあるものが存在していたらその間に生じるものだと思っています。でもそのあるものは、英語でいうところの”a”ではなく、”the”でないとダメなんです。例えば「オリジナルカプセルの中」と言えば、「スケルトンカプセル」の空間のことは指さない。けれど、この「SHUTLの中」と言ったら、双方のカプセルも指すというように、限定された”the”の中というのが必要だと思っています。
屏風の作品も、剥がした絵の具と後からの絵の具で二つの”印”が出来る、と考えています。その”印”が必ずしも絵の具であったり、求めている物理的な対象でなくてもいいのかなとジャスミンさんと喋っていて思ったため、オリジナルカプセルでは、野田ジャスミンという人間が考えている陶芸と僕との間を考えられたらいいなと思っています。こういうことが出来るのは作家としてはとても嬉しくて、いいキュレーション、セッティングをしていただいたと思っています。

野田ジャスミンの作品についての詩や解説テキスト

黒田:ありがとうございます。ではスケルトンカプセルについてもお話できたらと思います。スケルトンカプセルは、品川さんの作品をメインに構成し、基本的には明かりをつけずに自然光のみで鑑賞いただけるようにして、野田さんの作品も一点置いております。空間について品川さんにお話を伺います。

SKELTON CAPSULE 展示風景

品川:日本の絵画を考えると、たとえば長谷川等伯も狩野永徳も、皆さんけっこう筆跡が荒いんですよ。一説には、時間がなさ過ぎて速く書いたというのもあるのですが、おそらく日本の建築空間を考えると、庇(ひさし)が長くて家の中が暗いとか、夜になったら光源が少ないという環境で、あんまりきっちり見えてなかったはずなんですよ。今みたいに照明がばっちり当たっているわけではないため、「少しはみ出てる」とか全然気にならなかったはずです。ですので例えば永徳は、現代の博物館でLEDを当てられてたぶん今ごろヒヤヒヤしてるはずなんですよ。そんな細かいとこまで見られると思ってなかった、と。

あとはお茶の楽茶碗が真っ黒なのも、明るいところで楽しむと想定して作られておらず、お茶室の薄暗い中で、もしかして夜咄の時なら蝋燭の前で、薄暗い明かりの中で手触りを楽しむというものだったのかなと想像すると、日本美術のなかで「不自由さ」はすごく重要だと思っています。和歌では三十一文字という制限があるし、そのような”少しの鑑賞しづらさ”というのが重要な気がしています。そういった理由でスケルトンカプセルは、電気をあまり点けていません。墨を使った絵なので、おそらくここで見るよりも薄暗いところで見た方が墨が深く見える印象があり、鑑賞者も注意深く見るだろうなと思っています。

品川亮「Hello-Goodbye」シリーズ

品川亮「Hello-Goodbye」シリーズ

品川亮「Hello-Goodbye」シリーズ

品川亮「Hello-Goodbye」シリーズ

黒田:現代の鑑賞スタイルとして、ホワイトキューブで適切な照度で、それが反射することで作品の色味が鮮やかに見えるようにすることが多いですが、今仰った視点は興味深いですね。一説には、レオナルド・ダ・ヴィンチのドローイングの紙にパンの屑とよだれの跡があったことがDNA検査で判ったということがあり、これはダ・ヴィンチの性格も要因にはあるかもしれませんが、日差しなどの環境や、その時代の技術の制限によって描けるところ/描けないところに影響があっただろうと思います。今このような環境のなかで、かえって不自由な鑑賞空間を作ったというのは僕のなかでとても新鮮です。自然光のなかで作品を見るのが許されるのは、作品をコレクションしてる人か、作品を作った本人だけだと思うからです。不自由さを与えつつも、発想の自由さを与えてくれる展示手法だと感じました。

品川:そこに、ジャスミンさんの作品もインストールしています。

野田:品川さんの演出案をお聞きして、僕も何かできないか、むしろ僕の作品を演出要素として使っていただいても良いですよとお話したところ、黒いghostシリーズが良いのではないかとご意見をいただいて、「あ、できそう!」と思いました。先ほど星の話をしましたけど、今回オマージュした作家が約4名、実際は3名+1名という感じなのですが、それぞれを当てはめていく星があります。それが、冬の大三角形の二つの星、大三角形の右下と左下に位置するシリウスとプロキオンです。この二つには「双子星・連星」という特徴があります。何かと言いますと、連星は、二つの星もしくは三つの星がお互いの中心を軸にして回っており、虚空を中心にして回ってるのです。品川さんの作品でいうところの「間」です。「間」が存在していることを、その二つの星の存在が証明しているということになります。今回のシリーズはそのような特徴を持った星の名前を作品タイトルにしています。フリーダムスペースやオリジナルカプセル内の作品には「Sirius(シリウス)」という作品名を当てはめていて、「Procyon(プロキオン)」は、スケルトンカプセルとアウタースペースにある作品のタイトルにしていて、同じタイトルの作品はそれぞれで連星に因んだ関係性を持っています。
実際の星の「Procyon」は、実は近年まで連星と思われてなかったんです。なぜなら相方である星があまりにも暗くて見えないから。その状態が、日本の前衛陶芸の状態と重なるのではと想像したんです。日本の前衛陶芸がひとりに集約されていて、他の集団の人たちは注目されてないなぁ、なんでかなぁ、というような。ですので、その存在していない相方を表現したいなと思っていました。そこで品川さんが「見えにくい作品が欲しい」とお話くださったので、具体的なモチーフが存在している真っ黒のghostを展示しようと思いました。この作品は、見るからにモチーフは馬なのですが、陶芸が好きな方や僕の話を聞いてピンときた方は、この作家だなって思う方がいるかもしれませんね。
そういった背景があって、見えづらいことをよりわかりやすく、見えづらい空間であることをより象徴的にわかりやすくという、演出的な部分も含めて展示しています。

野田ジャスミン「ghost Procyon β / ■■■■」

黒田:キュレーターやギャラリストとしての立場からすると、作家さんが暗い空間で展示をしたいという提案は、鑑賞者がちゃんと作品を見れるのかというところで不安視するのですが、今回はこのようなコンセプトを内包する展覧会であり、僕自身がこれまでに暗い空間での展覧会を行ってきた経験もありますので、ポジティブに考えて構成できたと思っております。
カプセルは扉を締め切った状態で鑑賞していただくことが可能です。また、スケルトンカプセルではSHUTLのオリジナルグッズであるお香の香りの演出をしています。銀座と京都にある「香老舗 松栄堂」さんと一緒に作ったお香セットの中の一つの香りを焚いております。その香りとともに鑑賞いただけたらと思います。

では最後に、OUTER SPACEの作品のお話をお聞かせください。このスペースは個人的に、本当にお二人がやりたいことをしたと思っています。

OUTER SPACE 展示風景

品川:やりたいことをやらせてもらいました。屏風絵の作品もやりたいことやっていると言ったのですが、このテーピングの作品がまさにそうです。この作品は、絵のなかにおける空間や「間」とは何だろう?と考えて制作しているのですが、実際の「間」はもっとフィジカルな、スリーディメンション(3D)で、現実空間でも存在するため、屏風絵の作品を絵のなかだけではなくて、絵と壁で表現するということをやっています。
そうすることによって”the”というものを作れるのではないかと思って挑戦しています。

品川亮「Hello-Goodbye」

黒田:品川さんはこの新しいシリーズに対して、しっかり言葉にされてるのでこのような表現へと繋がっていると感じます。スケルトンカプセルの壁の作品、その対極として、外の空間にその対象となるものを配置しています。3人で試行錯誤しながら作った仕掛けがあるのですが、全て言うとネタバレになるため、ぜひ実際の空間で鑑賞していただけたらと思います。
では野田さんの作品について。奥に3点野田さんの作品が展示されているのですが、この3つは、先ほど仰っていた「写し」のオマージュのなかでひとつ有名な作品も入っていたりするので、その部分も含めお伺いできますか?

野田:今までお話ししてた内容は、作品の外側の話なので、ここからは「こんなこと考えながら作ってるんだな」という楽しみ方の参考程度に、具体的に何をしているのかをお話ししようと思います。
今言っていただいた有名な作品というのは、輪っか状になっている作品で、引用元は陶芸のオブジェというものを確立した集団の、一番象徴的な作品として近年扱われている、著名な方の作品です。陶芸で前衛的な行為を行った結果、器だけではなくてオブジェへ、というやり方を獲得した背景があるのですが、僕にとってはそれがいいことだけではなく、今の僕の葛藤や違和感の原因になっているのではないかという思いがずっとありました。

今回、この輪っか状の作品を一度切って、ねじって、メビウスの輪の形にし、本来ヘリの部分から飛び出してる口を面の部分に取り付け、面の内から外に突き出るような装飾の仕方をしました。それが僕のずっと感じている、「アートなのか、工芸なのか」という輪郭や領域の外に向かって動こうとする行為を示しています。それが、出ても出ても、ずっと同じ面。メビウスの輪になるのです。どういうことかというと、オブジェを獲得して器以外の表現方法を獲得したのだけれど、陶芸とは何かという輪郭を失ったのではないかと考えているんです。曖昧になってしまったからこそ、出ても出ても、ここが陶芸なのか陶芸じゃないのかがわからなくなっていく。同じところをぐるぐる周りながら、振り返ってもずっと同じ向きを見ている。どこに行っても所在が不明なまま、「陶芸ってなんだっけ?」と感じる。そういうものを生み出したと考えています。そのようなモヤモヤとした心の感じを、表現したものになっています。

もう一つの作品は、突起と注ぎ口が二つ付いてる、なにか顔みたいな作品です。はじめにしてた話のような「天体観測」のような行為のなかで、自分が星になっていくことを、割れて実像が抽象化していく自分の作風の表現技法を用いて、星を眺めているような抽象的なオブジェが端から螺旋にほどけていって溶けていくような、陶芸のなかでの「自分の芯」と「在り方」の表現をしています。
もうひとつはもっと図式的で、「陶芸は今こんな感じかな」というものを抽象的に図形化したものです。それぞれ、「写し」をするだけではなくて、自分の思想や想いを入れて作品にすることをやっています。

あと、品川さんとお話しているときに、直前に僕が「連星について考えています」と話をしたら、品川さんも実は連星について考えていたと仰って。アウタースペースにおいても品川さんの作品との繋がりや関連性が強い空間になったと思います。

壁面中央:品川亮「Hello-Goodbye」 壁面右:品川亮「Hello-Goodbye」  左奥:野田ジャスミン「ghost Procyon α / 虫の見る悪夢」 中央:野田ジャスミン「ghost Procyon α / 二通りの未来」 右手前:野田ジャスミン「ghost Procyon α / もう走れないよ」

手前:野田ジャスミン「ghost Sirius α / cup & saucer」 奥:野田ジャスミン「ghost Sirius α / flower base」

黒田:品川さんにも連星についてお聞きしたいです。

品川:「間」を作る際、二つの対称や何かしらの囲うためのものが必要だと考えたときに、それらが対等であるほどより純粋な「間」になると思い、対等なものとは何だろうと色々調べ、連星というアイデアに至りました。連星は、双方が同時に生まれてるんですよね。同時に生まれるということは、生まれた瞬間は優劣がない双子みたいな感じなのかなと思って、それはかなり作品のヒントになると考えていたんです。

OUTER SPACE 展示風景

黒田:なるほど、ありがとうございます。現場で作品が出来上がるという体験も、個人的にとても素晴らしい機会になりました。
伝統のメタボリズム第二期「伝統のメタボリズム〜様式の変容〜」は1月21日(日)まで開催中です。ぜひお越しください!

【 展示シリーズ第2期「伝統のメタボリズム〜様式の変容〜」】

「伝統のメタボリズム〜様式の変容〜」展では古来から引き継がれている「様式」が残る日本画と陶芸というジャンルに身を置きながら、オリジナルの視点で挑戦と応答を続ける2名のアーティストを紹介する。

「様式」という言葉は、「生活様式(ライフスタイル)」などのように、ある範囲の事物・事柄に共通している一定の型・方法の定型的なあり方を指すものとして一般的に使用されている。芸術領域においては、多種多様なマテリアルから派生する手法やそこに宿る作り手の思想が、「様式」として確立されている。

この「様式」は、新しいアイデアや技術の導入、異なる文化や哲学との交流、そして新しい価値観の流入によって常に変容し続ける。このような変化と発展は、芸術の多様性と豊かさを育み、新たな表現の可能性を開拓する原動力となる。

今となっては当たり前になっている技法や思想は、生まれた当初は最先端であったものが、更新され続け「様式」となっている。「コミュニケーション」によって過去の価値観と既存の価値観が混ざり、その技法や思想が変容され様式化していくその流れはまさに、伝統のメタボリズム(新陳代謝)と言えるのではないだろうか。

1987年に生まれ、京都を拠点に活動、素材や流派の様式といった伝統的な「日本の絵画」に新しい技法を加えることによってその可能性を追求している品川亮。

1996年タイで生まれ、現在は京都を拠点に器物作品とそれらを用いたインスタレーション作品の制作を通じて「工芸とアート」の関わりについて言及する野田ジャスミン。

「様式」という伝統に自らの思想を重ねて様式そのものを更新する、まさに「伝統のメタボリズム」を体現する新進気鋭の作家たちがテーマに応答した作品を発表する。


会場:SHUTL
〒104-0045 東京都中央区築地4-1-8
東京メトロ「東銀座駅」5出口・徒歩3分
東京メトロ「築地駅」2出口・徒歩4分

主催:松竹株式会社
共催:株式会社マガザン

キービジュアルデザイン:三重野龍 @mienoryu

※作品や展覧会についてのお問い合わせは、WEBのお問い合わせフォーム又はDMにて。

【伝統のメタボリズム展 ステートメント】

「未来のオーセンティック」を体現するスペース「SHUTL」は、本展を皮切りに伝統と現代を新たに接続する方法を生み出し、新陳代謝を促進する表現を紹介していく。

「伝統」という概念は、すでにそこに存在しているかのように捉えられがちであるが、現在進行形で生み出され、更新され続けていると言えるのではないだろうか。

この「伝統のメタボリズム」展では、「伝統」が「コミュニケーション」によって成立しているということに着目したい。ここにおけるコミュニケーションとは、情報や文化の伝達と、それらを媒介にした異なる世代間の交流によって、伝統に対する価値観が常に時代と共に更新されるプロセスを指す。

時代ごとに特有の文化活動や社会に対する意識は、絵画や彫刻などの美術作品や、文字で記した書物などを通じて後世へ残されていく。そして人々がそれらを時代を越えて記憶し、継承するとき、必ずそこには「コミュニケーション」が生まれ、その時代における価値観が流入する。こうして伝統は変容し、更新され、新陳代謝し続けているのである。

そして「伝統」が「コミュニケーション」によって更新されるプロセスを、「記憶」「継承」「変容」という3つの要素から紐解いてみたい。

【1】記憶
過去の出来事に対する認識、信念、行事、習慣、技術などの集積
【2】継承
一定の集団や地域、文化的コミュニティなどのアイデンティティ形成において受け継がれる事柄と継ぐための行為
【3】変容
その時代における価値観が流入し、既存の価値観が残りながらも更新されている状態

本展では、この3つの要素を軸に、「コミュニケーション」によって伝統が更新されるということについて、アートやクリエイティブの側面から「言葉と文字」、「様式の変容」、「見立て」という3部作にわたる展示シリーズとして紹介する。

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